чувствую, что спать мне не светит сегодня +)
обещала помочь Сатико с переводом текста... хехе... в общем-то для меня тоже хорошая практика +)
текст不登校と呼ばれる、学校に行かない子どもが、日本では2001年で約13万人を超えました。
不登校が増えたのは1970年代、校内暴力やいじめ、非行が多発し、塾通いが一般化された頃。
受験戦争など教科教育のみに重点がおかれたという背景があります。
なぜ彼らは学校に行かないのでしょうか。それは人により様々で、何が原因かは残念ながらはっきりとは言えません。
いくつか例を挙げると、生徒間・教師間の関係、学業不振、親の過剰な期待、他人と生きるのが難しい、などがあります。
その対策として、民間では1980年代には不登校の子を持つ親が集まり、社会への理解を広める活動が盛んになりました。
国としては1992年、学校に相談員を導入したり、適応指導教室を設置するなど、学校復帰策を強化しましたが、不登校児は依然として増え続けています。
実は私もかつては不登校でした。私の場合、学校への不信や「私は皆とは違う」という自己主張が理由で13歳から学校に行かなくなったのです。
学校に行かないことを親や教師に詮索されるのにうんざりしていた記憶があります。
最初のうちは、甘えるなと無理に学校へ行かせられたり、児童相談所に連れて行かれたりしたが、それらはかえって余計に私を苦しませました。一方、そのうちに学校に行かなくてもいいよと言われ、家で読書をしたり絵を描いたりなど自分の好きなことをさせてもらうことで、心にようやく平穏が訪れたように感じました。
不登校になったことで、勉強に遅れが出たり同年代と接する機会を失ったというマイナス面も確かにありましたが、その分自分と向き合う時間ができたし、長期間勉強しなかったことで自分の無知に気づき、自ら勉強する意欲が湧いたというプラス面もありました。
つらいのは他でもないその子自身だし、第一不登校は病気ではないのです。学校に来る権利もあれば、来ない権利もあると私は思います。
義務教育制度で子どもたちが全員就学となったことにより、学校に行けない子は異常者のように見られる、そんな枠組みが出来てしまいました。しかし子どもたちはそれぞれ自分の意志を持っているから、全ての子がそれに従うとは限らないのではないでしょうか。
学校に行けない子は決して怠けているのではなく、たまたま学校という環境に自分がそぐわないだけだろうと思います。
だから、不登校をそんなに悪いことのように考えないで欲しいのです。おそらくこれは、子どもの自己表現の一種なのです。
不登校の子を信じ、黙って見守ることも必要なのではないでしょうか。
頑張ってね!
頑張ってね!
блин какой все-таки японский красивый, и по написанию и по звучанию. гораздо красивее китайского xD